松原白山神社津島祭
2003/7/30
7月26日(土)、新舞子の「白山神社」へ
出掛けてみた。以前にも訪れた事のある
この地区の祭礼である。
初めて見たのはいつだっただろうか?
すぐ近くにあるスーパーへ買い物に行っ
たときのことだったと思う。なにやらこの
神社で人が集まっていたので、何事かと
ついつい引き寄せられてしまった。そこで
目にしたのはこの1台の凄く古びた山車
だった。「動くのか?」、「何型なんだ?」、
「屋根はどこ行った?」などなど沢山の
疑問点が一気に襲った。
まずこの山車には輪懸けが存在する。
これは主に「名古屋型」の山車の特徴
なのだが、見ての通り前棚は無い!と言
うか、ほんの僅かなものがあると言うか
。もちろん人形が載る様な物ではない。
では「知多型」か?見えなくも無いが、
前山も無いし、やはりどちらかと言えば
名古屋方に近いようである。何れにせよ
独自の形式を持った山車の様である。
この山車の最大の特徴と言えば、何と言
ってもやはり最上段の「巻き藁」である。
その昔は中央に12個の提灯を掲げた
芯柱が立っていたのだが、現在は簡略化
され巻き藁と前棚の提灯のみとなって
いる。元来この山車はこの辺りの天王祭
りに相当する「おたちくさん」などの際に
曳き回されていた様で、近隣の「大草」、
「日長」にも同様の山車があり同様に曳
かれていたという。(地区の祭礼は春の
別日に飾り馬で行っている) また、翌日
には巻藁は四本柱に支えられた屋根へ
と変わり大勢の人々で曳き回されたと
言う。残念ながら大草は昭和30年末頃
(?)日長は昭和17年に中止されたまま
である。この山車が唯一の所謂「重箱車」
となった訳である。
ご覧の様に、山車の至る所が朽ち果てて、
現在では曳き回しは危険な状態のために
不可能とのこと。梶棒の先端も直径5セ
ンチ余り、車軸や車輪もかなり傷みが酷く
非常に勿体無いと感じた。しかしある意味
昔のままの部材がそのまま使い残されて
いる点では素晴らしい事でもあると思う。
この2つの穴から曳き綱が出されて
いたようである。穴径からすると、
綱は平均的な太さだった様である。
水引幕
王様の写真館